2022年01月25日
松尾佑介インタビュー
ジュニアユース、ユースと浦和レッズでプレーし、仙台大学、横浜FCを経て7年ぶりにレッズに『復帰』した松尾佑介。育成組織時代、トップチームに昇格できなかったとき、大学時代や横浜FC時代、彼はどんなおもいで過ごしてきたのか。レッズからのオファーには素直に喜びながらも即決はできなかったというが、それでもなぜ移籍を決めたのか。「独特な雰囲気」「ふてぶてしい」と自称する松尾の胸には、熱いおもいが宿っている。
(浦和レッズの選手として初めてのオフィシャルメディアのインタビューです。よろしくお願いします)
「やっとホームに帰ってきたという感じですね(笑)」
(今、「帰ってきた」と言ったが?)
「そうですね、『帰ってきた』ですね」
(新加入選手記者会見では「横浜FCから移籍してきた」と言っていた。まさに「帰ってきた」ではないのかと思っていたが?)
「横浜FCにもお世話になりましたし、まずはそういう表現になりました」
(レッズのユニフォームに袖を通したり、レッズの選手として記者会見に臨んだりしたときの心境は?)
「レッズのユニフォームに自分のジュニアユース時代、ユース時代を重ねることも多いですが、あまりいいイメージはありませんでした。自分の能力不足だったと思いますし、何かをつかんだということがありませんでした。高校3年生のときにチームはJユースカップで優勝しましたが、僕はケガで1試合もベンチに入れませんでした。そういうこともあり、あまりいいイメージはないですし、逆に新鮮な気持ちです」
(あまりいいイメージはないということだが、ユースからトップチームに昇格できなかったときは悔しいおもいだったのか?)
「悔しいというよりは、それはそうだよな、という感覚でした。自分がトップに昇格できる実力があるとは思っていませんでしたし、今の実力ではプロにはなれないと思っていました。それが高校3年生の時期に少しずつ変わっていって、大学で4年間努力すればもしかしたらプロになれるかもしれないと思うようになっていきました。それで大学に行き、4年間頑張れたことが、プロになれた理由として番大きかったかもしれません」
(高校2年生まではプロになるのは現実的ではないと思っていたということか?)
「レッズのトップチームに上がるのは現実的に厳しいと思っていました。逆に自分が強化部(フットボール本部)の担当だとしたら、取らないと思っていました。取るかどうかという選択肢にすら入っていないと思っていましたし、妥当だと思っていました。近くにプロになるような選手がたくさんいましたし、そういう選手がプロで苦労している姿を見て、さらに壁は高いというか、僕の知らない何かがあるのだろうと思いました。あのときの生半可な気持ちでプロになっても何もできずに終わっていたのではないかと思います」
(高校3年生の時期に変わったきっかけはあったのか?)
「身体的なこともそうですし、プレーのイメージや精度を含めて、もしかしたら伸びしろがあるかもしれないと思うようになりました。元々思ってはいましたし、根...
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