2022年12月09日
「あの舞台で活躍して恩返ししたい」〜牲川歩見インタビュー〜
2022年に浦和レッズに加入した牲川歩見。2013年にジュビロ磐田の育成組織からトップ昇格を果たした牲川は、J3リーグのアスルクラロ沼津、J2リーグの水戸ホーリーホックで出場機会を増やし、2021年は水戸でJ2リーグ42試合中40試合にフル出場。そのなか、6シーズンぶりにJ1リーグの舞台に挑戦した。結果として公式戦の出場はAFCチャンピオンズリーグ(ACL) グループステージMD6 山東泰山戦の1試合に限られたが、大原サッカー場で目覚ましい成長を遂げた1人だった。ジョアン ミレッGKコーチの指導を受け、西川周作、鈴木彩艶と切磋琢磨しながら、どんなことを考えながら2022シーズンを戦ってきたのか、そして2022シーズンを終えて何を思うのか、話を聞いた。
【牲川歩見】
(浦和レッズに加入して1年目のシーズンを終え、どんなことを感じているのか?)
「まずはクラブが目指していた目標を達成できなかったことの悔しさがありますし、個人としてもあまり試合に絡めなかったことの悔しさがあります。ただ、ピッチの中では充実感がありました。GKチームの取り組みや、自分が何をしているのか、どうしたら良いプレーができるのかという考え方は大きく変わった1年だったと感じています。良いことも難しいこともあったシーズンだったと言えると思います」
(レッズに加入する上で、日本を代表するGKである西川周作選手や将来を期待されている鈴木彩艶選手がいることも知っていたはずだが、その中でレギュラーの座をつかむつもりだったのか?それとも試合に出られないかもしれないことを受け入れた上で何か違う魅力があったのか?)
「まずレッズに加入することを決めた一つの要因として、西川選手と彩艶選手の存在がありました。2人はJリーグでトップクラス、日本を代表するGKだと思っていますし、その2人と一緒に戦って自分がどれくらい通用するのか、日本のトップにはどれくらいの差があるのかと見比べたいという気持ちがありました。それにチャレンジできるというポジティブなおもいがありましたので、ポジション争いをしながら成長したいと思っていましたし、なおかつ試合に出られたら一番いいと思いながらやっていました」
(試合に出ることが全てではないという考えだったのか?)
「僕も28歳になるシーズンでしたし、ベテランの域に片足を突っ込んでいる年齢だと思いますが、だからこそチャレンジが必要だと思っていました。自分にも危機感がある中でのチャレンジでしたので、より成長できるのではないかと感じていました」
(水戸ではほとんどの試合に出ていたが、どんな危機感があったのか?)
「レッズに加入する以前は、試合に出ていて失点したときに自分のミスなのかDFのミスなのかが分からない、でも試合が来てしまうからやらないといけない、という感覚がありました。そのまま試合に出続けながら改善できればいいですが、分からない状態のまま続けるのは良くないと感じていました。
それと、林 彰洋選手とサガン鳥栖で一緒にプレーしていましたが、林選手はFC東京でジョアン(ミレッ)GKコーチと一緒にやっていました。その当時、インタビューで読んだのですが、『新しいGKの感覚を見つけて、それを理解してプレーできている』というようなことを言っていて、『そんなGKコーチがいるんだ。指導を受けてみたいな』と思っていました。実際に林選手は、鳥栖のときもすごかったのですが、FC東京に移籍してからはさらにGKの価値を表現しているようなプレーをしているように見えました。なので、『ジョアンコーチのもとで学んだら自分はどうなるのだろう』と考えていました。そうしたらジョアンコーチがレッズに来ることになり、それも含めてチャレンジしたいという気持ちが強くなりましたし、自分が成長する場所としてすごくいい場所だと感じていました」
(考え方が大きく変わったということだが、ジョアンGKコーチの指導を受けてみたいと考えていたとはいえ、それまでとの変化に戸惑いはなかったのか?)
「最初はす...
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