2012年02月24日
2月23日
2008年2月23日。
北京オリンピック出場を目指すU-23日本代表の一員として、梅崎 司はアメリカにいた。
オリンピックは大きな目標のひとつだった。だが、大分トリニータから移籍してきたばかりの彼にとって、浦和レッズでの練習から離れることは不安も大きかった。
その後、U-23日本代表は北京オリンピックへの切符を手にするが、梅崎が最終メンバーに選ばれることはなかった。レッズでのパフォーマンスも、自身が夢想していたほどのものは出せないまま。シーズン終盤には長い間ベンチに甘んじることになった。
2009年2月23日。
梅崎は腰痛に悩まされていた。手術を決断し、リハビリを経て夏に復帰を果たすが、11月には練習中に膝を傷...

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