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REDS COLUMN
2024年12月03日

-興梠慎三の軌跡 -COLUMN02 チームのため、仲間のために走る原点はあのころに

あのとき、あの言葉、あの行動がなかったら、今の興梠慎三はいないと断言できる。 多感な青春時代を過ごしていた彼に食らいつき、向き合った人がいる。 当時・鵬翔高校サッカー部の監督を務めていた松崎博美さんだ。 恩師の存在なくして、埼玉スタジアムで躍動する背番号30はいなかった。 寝顔を見ながら、興梠慎三は思い出していた。 「この人がいなかったら、間違いなく今の自分はいなかっただろうな」 ある年のことだ。 鵬翔高校サッカー部の監督を務めていた松崎博美さんは病気を患い、東京都内で手術を受けた。 そのことを聞きつけた興梠は、1人で病室を訪ねた。 部屋の扉を開けると、恩師は静かに眠っていた。椅子に腰掛けた興梠は、起こすのでもなく、恩師の顔をずっと眺めていた。 「自分にサッカーの楽しさを再認識させてくれたのはこの人だったし、本当にサッカーが好きな人だよな。早く元気になって、また子どもたちを指導してほしいな。それで全国に羽ばたくようなチームや選手を育ててほしいな」 同時に20年近くになる恩師との日々も駆け巡っていた。 しばらくして松崎さんは目を覚ますと、目の前に教え子がいることに驚いた。 「ずっと、そこにいたのか? 起こしてくれればよかったのに」 「術後だし、眠っていたので起こしませんでした」 興梠を高校の3年間、指導した松崎さんは言う。 「手術することも、心配させまいと、本人には言っていなかったのに、誰かから聞いたんでしょうね。事前に来るとも言わずに、目を開けたら慎三が座っていて、私の顔を見ているものだから、それはもうビックリしました。わざわざお見舞いに駆けつけてくれたんですから。昔から彼は、そうした人懐っこさというか、温かさを持っていたんですよね」 小学生のときから、大会に出ては得点王になったり、優秀選手に選ばれたりと、たびたび名前の挙がる「興梠慎三」の存在は知っていた。 宮崎市立大宮東中学校では、専門的な指導者がいなかったこともあり、厳しい練習や必要な技術を教わる機会がなかったことも知っていた。 それでも松崎さんは、中学3年の大会が終わったあとには、興梠に声を掛け、月1回開いていた練習会に参加してもらった。 「スピードもあるし、ドリブルもうまかった。何より、ボールタッチが柔らかかったんですよね。スピードを生かしながら、しっかりとボールを扱うことができていたので、これは将来性のある選手だなと思って見ていました。その練習会には、宮崎市外の選手も参加していたのですが、そうした選手たちからも、慎三は一目置かれる存在でした」 その子が他校の入試に落ちて、高校の行く当てがなくなっていると知ったのは、それからしばらく経ってからだった。 松崎さんは、学校側に掛け合い、興梠の入学を相談。当初学校側はすんなりとは認めてくれなかったが、最終的に松崎さんの情熱が実り、サッカー部に入ることを前提に進学できることになった。 しかし、入学して間もなく、興梠は「サッカー部を辞めたい」と、弱音をこぼすようになった。その背景を松崎さんは、こう明かす。 「おそらく、おもしろくなかったんでしょうね。当時は、県のトレセンに選ばれているような選手が、特待生として入学してくれていました。その特待生...


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