2026年02月05日
池西 希テクニカルダイレクター就任インタビュー「情熱と論理で浦和レッズを前へ」
今季より浦和レッズのテクニカルダイレクターに就任した池西 希のインタビューを公開。
これまでのキャリアを振り返りながら、さまざまな現場で培ってきた経験、価値観、そしてチーム強化に対する考えを語ってもらった。
【アカデミー、大学、銀行──“浦和とともに歩んだ”原点】
■レッズと“同い年”、少年時代の記憶
(池西さんは1992年3月12日生まれ。レッズの誕生が1992年3月10日ですから、まったくの“同い年”ですね。浦和駒場スタジアムでのレッズの記憶はいつごろからありますか)
「覚えているのは、1995年に福田(正博)さんが得点王になった試合ですかね。ギド ブッフバルトやウーベ バインも見た記憶があります。駒場で古新聞を裂いて紙吹雪を作っていました」
(小学生になる前ですね。小学生のときは?)
「小学1年までは浦和にいましたが、2年生から6年生までは父の転勤で名古屋に住んでいました。愛知FCに所属していて、全国大会の準決勝で原口元気のいる江南南にPK負けしてベスト4でした。
だから1999年のレッズ降格は名古屋で見ていたんです。
2002年のJリーグカップ決勝は国立まで見に行きましたし、翌年の優勝した決勝も見に行きました。2004年に浦和へ戻ってからは、もちろんJリーグカップ決勝にも行きましたし、ステージ優勝したときの駒場にもいました。
中学生になるタイミングで浦和に戻り、レッズジュニアユースに加入しました。加入が決まったときは本当にうれしかったです」
■勝つことへの強い意識を培ったアカデミー時代
(レッズのアカデミーに所属していた2004〜2009年は、トップチームが最も輝いていた時期ですね)
「当時のトップチームは、ものすごく遠い存在でした。今季もユース2人がプロ契約しましたが、彼らが感じている距離感とはまったく違ったと思います。
そして自分は弱い時代からレッズを知っていましたから、“日本代表選手を獲れるチームになったんだ”と感じました。Jリーグのスーパーなタレントが来る時代なんだな、と」
(アカデミー時代に、サッカーの技術以外で学んだことは?)
「一つは“相手に勝たなければいけない”ということです。負けることへのストレスやアレルギーのような感覚が強かったですね。
中2のときはAチームに帯同して、日本クラブユース選手権と高円宮杯で2冠を獲りました。試合にはあまり出ていませんが、高2のときも高円宮杯で優勝しました。勝つ姿勢と勝った経験は大きな財産です」
■早稲田大学で学んだ“人としてのあり方”
(プロを目指していたのはいつまでですか?)
「アカデミーにいる間はそういう気持ちでしたが、現実も見ていました。原口や山田直輝を見て、“こういう人たちがプロに行くんだ”と肌で感じていましたし、自分はそこには達していないと早くからわかっていました。
だから大学で再挑戦しようと思ったのですが、ネガティブではなかったです。ユースを終えるころはトップに良い選手が多く、簡単ではないと感じていました」
(大学であらためてプロを目指したのですね)
「3年までは目指していました。ただ、プロになる覚悟が足りなかったと思います。就活が前倒しだったので、3年の時期に判断が必要でした。
自分の立ち位置からすると、サッカー選手としての未来より、サッカーをベースに社会人になる方が幸せになれるかなと感じたのが正直なところです」
(早稲田大学のサッカー部で...
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