2019年1月16日、埼玉スタジアムで、新加入選手の記者会見に臨んだ汰木康也は、こう言っていた。
「自分は横浜F・マリノスの下部組織で育ちましたが、浦和レッズというクラブに昔から憧れを持っていました。だから、このチームの一員になることができて、うれしい。特長はドリブルなので、試合はもちろん、練習からもチャレンジしていきたいと思います」
汰木が浦和に対して、「憧れ」と表現したのには、はっきりとした理由があった。
「マリノスのジュニアユース時代に、公式戦でボールボーイをする機会があったんです。それが、ちょうど浦和レッズの試合で。当時はあまりスタジアムでサッカーを見る機会がなかったから、名前を知っている選手は少なかったんですけど、原口元気さんをはじめ、若いときから試合に出ている選手たちが活躍する姿を見て、純粋に『かっこいいな』って思ったんですよね。あとはサポーター。アウェイでも声援に迫力があって、子どもながらに『すごいな』って思ったんです」
抱いた童心は、心の奥底に残っていた。だから、高校3年生になり、横浜FMのトップチームに昇格できないことが分かったときも、親に決意を語っていた。
「マリノスでプロになれないのであれば、いつか頑張って、浦和レッズでプレーするような選手になりたい」
あのときから、彼は赤いユニフォームを身にまとうために邁進してきた。
目の前に座った汰木は、しばらく考え込むと、口を開いた。
「自分にとっての分岐点をひとつ挙げるとすれば、マリノスのユースからトップチームに昇格できないことが分かって、モンテディオ山形に加入することが決まったときになると思います。ずっとうまく行っていたものが、そこで初めて途切れたタイミングでもあったので」
小学3年生から、横浜F・マリノスの育成組織でプレーしてきた。自分でも「順調すぎるくらい」と笑うほど、一直線に階段を駆け上がってきた。高校3年生で臨んだ2013年の日本クラブユースサッカー選手権では優勝。MVPに選ばれる活躍も見せた。
「選手としてアピールする意味でも、クラブユース選手権は、特にがんばって、優勝することができた。自分の世代は強くて、5人くらいが2種登録もしていて。自分は、そのタイミングで、世代別の日本代表にも選ばれていたので、(トップに)昇格できるんじゃないかと思っていたんですよね」
ただ、トップチームが下した判断は違っていた。
「クラブユース選手権が終わったくらいの時期に、クラブと面談があったんですけど、そこでトップに昇格できないということを言われました。正直、自信はあったので、衝撃を受けましたね。クラブからは、大学でサッカーを続けて、4年後に戻ってきてほしいということを言ってもらったんですけど、悔しさのほうが大きくて。見返しやるというか、後悔させるくらいの選手になってやるという気持ちがこみ上げてきました。だから、その場で、大学には行きません。プロを目指しますって答えたんです」
それは揺らぐことのない堅い決意だった。そのタイミングで、声を掛けてくれたのが山形だった。
「きっと、親は大学に進学してほしかったのかもしれないですけど、自分の意志は固まっていましたね。プロになるために子どものときから、ずっとサッカーをやってきていたので、目の前にチャンスが広がっているのであれば、そっちを選択したいなって」
2014年に加入した山形では、J2開幕戦からベンチ入りすると、途中出場した。
「今考えたら、生意気なんですけど、ユースで日本一になって、世代別の代表にも選ばれていたので、自信を持っていて、最初から試合に出られるだろうって思っていたところもあったんですよね。実際、キャンプも順調で、ドリブルとか、技術では他の選手にも負ける気がしなかった。でも、同時に、自分がそれまで磨いてきた技術だけでは、(プロの世界で)通用しないということを感じはじめたのも1年目のときだったんですよね」
開幕戦以降は、ベンチを温める日々が続いた。それどころか、しばらくするとメンバー入りすらできなくなった。
「ドルブルをはじめとする技術には自信があって、J2でも通用するという感覚は得られていたんですけど、それ以上に、監督やチームメイト、周りから信頼されなければならないって感じたんです。特に当時の監督だった石崎(信弘)さんは、走ることや守備をすること、ひたむきにがんばるプレーを評価する人だったので、そういう姿勢を示さなければ、自分が信頼を勝ち取ることはできないだろうって思っていました」
プロになるまでの汰木は、とことん長所を伸ばしてきた。だが、試合に出られなかった日々では、短所をも見つめるようになった。自分の欠点や弱みに目を向けるのは、決して容易なことではない。だが、汰木はそこを克服しようと取り組んだことで成長した。
「石崎監督が大前提としていた守備や走力、さらには球際の強さ。それまでの自分が比較的、苦手にしていた部分は、プロ1年目、2年目と、ハードな練習を積んでいく中で、だいぶ鍛えられたかなと思います。3年目を迎えた2016年、チームはJ2開幕から7試合も勝てない時期が続いて。そうした状況を変えようと、監督は、両サイドに技術のある選手を起用しようと考えてくれた。そこでチャンスをもらえたんです」
2016年4月17日に行われたJ2第8節の北海道コンサドーレ札幌戦。汰木はリーグ戦で初先発を飾った。
「ずっと葛藤しながら取り組んできた中で、チャンスが来たことは本当にうれしかったというか。ここでやらなければ、終わるなって思った。あまり意気込んで試合に入る性格ではないですけど、このときばかりは、めちゃめちゃ気合いを入れて試合に臨みました」
その試合で汰木は初得点をマークする。「たまたま来たボールを押し込んだだけなんですけどね」と、笑うが、目に見える結果を残して、石崎監督の評価を覆すと、先発で起用されるようになった。
「コンスタントに出場できるようになって、試合に慣れることも大事なんだなって感じました。自分に足りないところもありましたけど、そこを身につけることで、試合にさえ出られれば、結果を残せる自信もあったんです。だからこそ、試合に出られるようになるまでの2年半はもったいなかったかなと思ってもいます」
2017年からは、木山隆之が山形の監督に就任し、チームがボールを保持するスタイルへとシフトチェンジしたことで、ドリブルを得意とする汰木はより重宝されるようになった。
「石崎さんにも期待しているという声はたくさん掛けてもらいましたけど、木山さんになって、シーズンを通して試合に絡めるようになった経験は大きかったですね。やっぱり、試合に出ることが一番、自信になる。今まで、試合にさえ出場できれば、誰にも負けないというか、活躍できるという思いはありましたけど、それが確信に変わったというか。それを経験できた2016年と2017年シーズンだったと思います」
自信が確信に変わっていただけに、2018年シーズンを終えて、浦和レッズからオファーが届いたときには、素直に「うれしかった」と語る。
「今は、プロ1年目、2年目に経験したように、また壁に直面してもいる。ひとつ上の舞台に来たことで、越えなければならない壁がまたひとまわり大きくなっているとでも言えばいいんですかね」
J1第22節を終えて出場は5試合。自身が「自信を得られる場」と語る機会は、限られている。それでも……。
「いろいろな思いがある中で取り組んでいますけど、自分が望んでいた舞台に来ることができて、毎日、レベルの高い充実した練習ができている。自分にとっては、そうした中で高い壁に挑戦できていることが、本当に楽しいというか。満足しているようなことはひとつもないですけど、競えるライバルがたくさんいて、さらにレベルの高いプレーを求められているこの機会は、自分がまた成長できるチャンスだと思っています。山形にいたときは、年齢的にも若くて、イライラしてしまったこともあったので。今は、挑戦できていると思えていることも、いいことなのかなって」
当然ながら、悔しさがないわけではない。培ってきた自信を失っているわけでもない。だからこそ、日々の練習から刺激と吸収を繰り返している。
「みんな本当にすごいですからね。自分が負けているとか劣っているというわけではないですけど、それぞれに、はっきりとした武器がある。それがあるからこそ、みんな試合にも出ているわけで。そうした特徴のある選手のプレーを見て参考にしています」
何度も「ドリブル」という言葉を発したように、汰木といえば、ドリブラーという印象が強い。だが、聞けば、本人はプロになるまで、そうした意識はなかったという。
「ユースに入る前は、FWだったんですよね。それが、ユースになってからサイドでプレーするようになって、徐々にドリブルを覚えていったんですよね。そのときもドリブルしようというのではなく、得点を取らなければ、取らなければと思って、ゴールに向かって行こうとしていただけだったんです。ドリブルが自分の武器だと思いはじめたのはプロになってから。石崎さんに『お前はもうドリブルだけしていればいい』って言われたことがあって(笑)、そのとき、ドリブルが自分の武器なんだなって思ったんですよね」
J1の舞台、さらには浦和に加入したことで、再び、その長所を成長させようと向き合っている。
「今は、その武器をどのタイミングで出すかを考えながらプレーしています。爆発力を出すために、それまでどういう動きをするのか、どういうポジショニングを取るべきなのか」
3月6日に行われたAFCチャンピオンズリーグのブリーラム・ユナイテッド戦。後半に途中出場した汰木は、88分、左サイドをドリブルで駆け上がると、橋岡大樹のゴールをアシストした。
「あとから映像を見て、なおさら思ったんですけど、自分がドリブルしたときの歓声がすごかったんですよね。これだけ沸いてくれていたんだって思うと、もっとやってやろうという気持ちになりますよね」
ゴールと同じように、ドリブルもまた観客を熱狂させ、魅了する。幼いころに自分が感じたあの声援が自分に向けられる。そう思えば、自然と力も漲ってくる。その歓声を再び浴びるために、汰木は、己の武器を研ぎ澄ます。やれるという揺るぎない自信とともに。