TURNING POINT vol.03

森脇良太(DF/46) 「戦う姿勢を見せる理由」

ピッチでは誰よりも叫び、手を叩き、チームを鼓舞する。
ピッチでは誰よりも身体を張り、ボールに食らいつく——。
森脇良太が全身全霊でプレーするのには理由がある。
その胸には、その心にはいつだって感謝の思いが込められている。

もう後がないと思って臨んでいたブリーラム・ユナイテッド戦

 一瞬のプレーに引き込まれて、全身に鳥肌が立った。
 AFCチャンピオンズリーグのグループステージMD1、ブリーラム・ユナイテッド戦のことだった。あれは、試合がはじまって、まだ間もない時間だったと記憶している。タッチライン際でドリブルしていた相手に対して、森脇良太がスライディングを試みる。一度目は相手に交わされてしまったが、諦めなかった森脇は、間髪入れずにもう一度、スライディングを仕掛けたのである。
 それは相手ゴール前で得点に絡むようなプレーでもなければ、自陣ゴール前でチームの窮地を救うようなプレーでもない。ただ、この試合に懸ける『背番号46』の気迫が伝わってきて、思わず記者席から身を乗り出していた。
 そのことを森脇本人に告げると、「そう言ってもらえると、うれしいですね」と笑い、覚悟を口にする。
「もう本当にあの試合は、やるしかないというか。自分が浦和レッズで生き残っていくため、(オズワルド・)オリヴェイラさんの気持ちを引き寄せるため、自分の価値を証明しなければと思っていた。だから、こんなビッグチャンスを与えられることは、もうないだろうという思いでピッチに立ったんです。この試合でダメだったら、後がないというか。そういう強い覚悟で臨んだことは間違いないですね」
 振り返れば2018年は、度重なるケガにより、リーグ戦わずか11試合の出場に留まった。それは浦和レッズに加入してから初めての経験であり、プロになり試合に出場できるようになってからでも初めてのことだった。
「去年はケガをしていたこともあって、一刻も早くケガを完治させたい、再びケガをしない身体作りをしたいと、ポジティブに考えることができていたんですけど、このままでは自分自身がやばいなと思うようになったのは今シーズンに入ってからですね。練習のときから、監督が自分に対して振り向いてくれるようになるには、どうしたらいいかを考えたとき、やっぱり、まだまだ足りないな。もっと、もっと頑張らなければいけないなということは感じていたんですよね。キャンプや普段の練習でも、監督に最大限のアピールをしようという思いで、やっていましたけど、練習や練習試合と、公式戦とではやっぱり違いはある。そういう意味では、この大事な局面でアピールしようという思いはありました」

戦う姿勢であり、球際の強さを見せたかった

 危機感を抱いていたのは、個人に対してだけではない。浦和レッズは、シーズン開幕を告げるFUJI XEROX SUPER CUPで川崎フロンターレに敗れて黒星スタート。迎えた明治安田生命J1リーグ開幕戦も0-0の引き分け。ホーム開幕となったJ1第2節の北海道コンサドーレ札幌戦は、0-2という結果以上に内容でも完敗していた。
「自分がピッチに立てていなかったので、どうしても言いたいことすべては言えないというか。やっぱり、試合に出てはじめて、思ったことを口にできるというか、説得力も帯びてくる。試合に出られないときも、できる範囲で言ってきたつもりですけど、どこかで自分がそこ(試合)に貢献できていない、(ピッチに)立っていないのに、意見を言っていいのだろうかという葛藤はありました」
 森脇にとって、ブリーラム戦は、そんなタイミングで巡ってきた、今シーズン初先発の機会だった。結果的に3-0で快勝し、浦和レッズが今シーズン初勝利を挙げたあの試合、森脇は背水の覚悟で臨んでいたのである。
「外から試合を見る中で、自分が感じていたことを、しっかり出していこうという思いはありました。そこはあのブリーラム戦でひとつ表現できたかなと。それは戦う姿勢や球際の部分。気持ちだけで、サッカーを片付けてしまってはいけないとは思いますけど、僕の中で、そこは重要なポイントだとも思っていたんです」
 久々のホーム、埼玉スタジアム——あの空気、あの雰囲気——歓声と声援を浴び、沸いてくる闘志と高揚感の中で、森脇には思い出す原風景があった。

いつも明るい森脇良太が怖さを感じていたプロ1年目

 サンフレッチェ広島のユースで育った森脇は、2005年にトップチームへと昇格した。ただ、プロになった喜びも束の間、森脇に待っていたのは試練だった。
「プロ1年目は……嫌だったというか。本当に日々の練習からレベルの差を痛感したんです。プロってこんなにもレベルが高いんだ。それでいて、こんなにも強くて、激しくて、うまいんだと。今も覚えているんですけど、当時住んでいた寮から練習場まで、車で1時間近くかかるんですね。練習場へは国道から山道に入るんですけど、ちょうど曲がり角にコンビニがあるんです。そのコンビニが見えると、毎日、『あ~、もう、練習場に着いちゃうよ』という気持ちになっていた」
 明るい性格で知られる森脇からは想像がつかない心境だった。本人も「今の僕からは考えられないですよね」と言って笑う。
「ちょっと怖かったんですよね。嫌というよりは怖さのほうがありました。落ち込むとか、下を向くような感じではないですけど、ちょっと怖い。みんなのレベルが高すぎて、そういうふうに思ってしまっていたんです」
 全く試合に絡めないどころか、練習に着いていくのが精一杯だった。シーズンが終わると、クラブから愛媛FCへの期限付き移籍を勧められた。
「そのとき、僕はもうサッカー選手としてダメなのかなって思ったんです。だから、当時の強化部長にも、『僕はもう、いらないってことですか?』と聞いてしまったくらい。そのときは『いらないわけじゃない。ただ、現状のままでは試合に出ることは難しいから、一度、クラブを出て修行してきてほしい』と言われました。よくよく考えれば、すごくポジティブな言葉を掛けてもらっているんですけど、その当時の僕は、『もうダメなんだな』『広島では戦力外なんだな』『きっと帰って来られないんだな』という思いが強かったことは、今でも鮮明に覚えていますね」
 自分自身の性格についても「周りからはポジティブに見られがちなんですけど、実はネガティブになることも多いんです」と話す。
「試合でもそうなんですけど、どんなにいいプレーをしたとしても、どこかで必ずちっちゃなミスをしていますよね。自分の中では、そのできなかったところをクローズアップしてしまうところがあるんです。だから、試合後に、自分のプレーを見返すときも、良いところではなく、自分の粗というか、ダメな部分を探してしまうんです」
 インタビュー中も明るく、前向きな言葉ばかりが口を衝いて出てきていたから、さらに意外な一面でもあった。
「ただ、ネガティブでありながら、ポジティブでもあるんです。とことん、落ちるところまで落ちるというか、一度、どん底まで落ちて、そこからまた自分を奮い立たせていくんです」

見返してやると決意した愛媛FC時代に学んだ感謝の心

 だから、愛媛FCへの期限付き移籍を告げられたときも、森脇は奮起した。
「絶対に見返してやる。愛媛FCで俺は活躍してやるんだ。1日経って、そういう気持ちに切り替えられたんですよね」
 実際、愛媛FCでは、2006年にJ2で42試合に出場してプロ初ゴールも記録。翌2007年も愛媛FCでプレーすると、J2で37試合に出場した。
 数年前に当時の映像を見返したという本人は、「とんでもないくらいプレーがひどかった。ホント、よくこれで試合に出られていたなって思いました」と自虐する。そう言って、こちらを笑わせた後、真顔に戻ると続けた。
「でも、あの愛媛FCでの時間がなければ、今の僕はないわけで。だから、我慢して試合に起用し続けてくれた望月(一頼)監督には、本当に感謝しているんです」
 感謝の気持ちが芽生えたのは、当時の指揮官に対してだけではない。
「今はだいぶ改善されているみたいなんですけど、当時の愛媛FCは、練習場も転々としていましたし、クラブハウスもなければ、スパイクを置くところすらなかった。まさに自分の車のトランクが、ロッカールームみたいな厳しい環境。でも、そういう経験が自分にとっては重要だったというか。今にも生きているんですよね。浦和レッズでは、練習を終えて、練習着を洗濯に出せば、次の日には綺麗になって戻ってくる。今はそれが当たり前ですけど、実は当たり前ではないということを、そのときに学んだんです」
 森脇にとって、愛媛FCで過ごした2年間は、選手として自信をつけたターニングポイントというだけでなく、今の彼自身を形成する原点でもあったのだ。
「愛媛FCのときは、それこそ観客も少なかったんですよね。サンフレッチェ広島のときも、常に満員とは言えなかった。でも、浦和レッズでは、常にあんなにも多くの人に応援してもらえる。それってものすごく幸せなことですし、ありがたいというか。だから、一番はやっぱり戦って、ファイトして……毎試合、勝つことができれば、それほど幸せなことはないですけど、なかなか難しいことでもある。でも、あれだけのファン・サポーターの声援に応えるためにも、常に戦う姿勢というものは見せなきゃいけないと思うんですよね」
 タイトルを獲得したとき、森脇がトロフィーを掲げようとすれば、チームメイトだけでなく、ファン・サポーターも含めて、誰もが静観して笑いを提供する。いつしか、その光景がお決まりになったように、森脇といえば、ひょうきんでお調子者という印象が強い。
「周りからは、勢いだけで生きている人間だと思われているところもありますよね(笑)。それもまあ、否定するところではないんですけど、だけど、ネガティブなところもありますし、ポジティブなところも、もちろんある。そんなネガティブになる自分も好きだったりするんですよ。そこも含めて、自分のことを分かってくれる人だけが、分かってくれればいいかなって思っているところもあります。だから、必要以上に自分を良く見せようとも思わない。素のままの自分を出していければいいかなって」

エンブレムを握りしめるときに思うこと

 浦和レッズに加入して7年目を迎えている。未だ若手のようにいじられているが、森脇も33歳になった。「びっくりしますよね」と言って、またこちらを笑わせる。
「こんなに長く、浦和レッズでプレーさせてもらえるなんて、感謝しかないというか。だからこそ、チームに貢献したいという思いは強いんですよね。あと何年、ここでプレーさせてもらえるかは分からないですけど、だからこそ、一瞬、一瞬を大事にして、このチームのためにできることをしたいんです」
 そういって微笑んだ森脇の表情は、“ちょっとだけ”頼もしかった。
 ブリーラム戦では、誰よりも叫び、手を叩いてチームを鼓舞した。懸命にボールを追い、身体を張ってゴールを守った。文字通り戦う姿勢を示した森脇は、その試合を契機に、3バックの一角として、ときにはウイングバックとして出場機会を増やしている。
「もう33歳だから、ウイングバックはきついですよ。監督から右ウイングで試合に出るぞと言われたときは、足が震えます(笑)」と言って、再び笑いを誘う。
 そんな森脇は、試合でピッチに入場するとき、タッチラインをまたぐ前にクラブのエンブレムをグッと握りしめる。そのとき、いつもこう思うのだという。
「今日もプレーできる機会をありがとうございます。浦和レッズのために、今日も全力で戦います」
 いつだって明るくて、お調子者。ただ、浦和レッズのファン・サポーターには"ちょっとだけ"分かってほしい。森脇良太は、誰よりも感謝の気持ちと、戦う姿勢を持ってピッチをまたいでいるということを——。

(文・原田大輔/写真・近藤 篤)