MDPにも少し書いたけれど、鈴木啓太が浦和レッズのユニフォームを脱いだ日(2015年11月22日)、僕はその2週間前に草サッカーの最中に右足のアキレス腱を切り、試合当日はまったく動ける状態になかった。 だから、僕の撮った彼のレッズにおける最後の試合の写真には、ろくなものがない。 山田暢久あるいは田中達也、レッズの伝説となった選手たちの最後の試合では、いつだって誰よりもいい写真を記録してきた自信があるが、啓太だけはダメだった。 試合が終わり、彼がチームメイトに胴上げされているときにも、ただ南側のゴール裏からその光景を望遠レンズで撮るしかなかったし、啓太が場内を一周し始めたときは、必死になって松葉杖をつき、なんとか北側のゴール裏に先回りして広角レンズを構えて待ったが、ファインダーのちょうどいい位置に彼が差し掛かった瞬間、僕と彼との間には何人ものカメラマンが割って入った。 その後しばらく、僕はこの試合を思い出すたび頭の中が数秒間白くなり、結構きつい(後悔のような)感覚を味わわされた。しかしもちろん、そのきつい感覚を何度味わったところで、撮れなかった光景がもう一度目の前に現れることはなかった。 カメラマンの仕事を始めてもう30年になるが、あれほどの無力感を覚えさせられた瞬間は他にあまり思い当たらない。 その鈴木啓太が一年半後、埼玉スタジアムで引退試合を行うことになった。 なぜ今になって?理由はわからないが、僕にとっ...
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