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INTERVIEW
2019年08月15日

TURNING POINT vol.07 汰木康也「研ぎ澄ます己の武器」

TURNING POINT vol.07 汰木康也(MF/24) 「研ぎ澄ます己の武器」 ■いつか浦和レッズでプレーしたい 2019年1月16日、埼玉スタジアムで、新加入選手の記者会見に臨んだ汰木康也は、こう言っていた。 「自分は横浜F・マリノスの下部組織で育ちましたが、浦和レッズというクラブに昔から憧れを持っていました。だから、このチームの一員になることができて、うれしい。特長はドリブルなので、試合はもちろん、練習からもチャレンジしていきたいと思います」 汰木が浦和に対して、「憧れ」と表現したのには、はっきりとした理由があった。 「マリノスのジュニアユース時代に、公式戦でボールボーイをする機会があったんです。それが、ちょうど浦和レッズの試合で。当時はあまりスタジアムでサッカーを見る機会がなかったから、名前を知っている選手は少なかったんですけど、原口元気さんをはじめ、若いときから試合に出ている選手たちが活躍する姿を見て、純粋に『かっこいいな』って思ったんですよね。あとはサポーター。アウェイでも声援に迫力があって、子どもながらに『すごいな』って思ったんです」 抱いた童心は、心の奥底に残っていた。だから、高校3年生になり、横浜FMのトップチームに昇格できないことが分かったときも、親に決意を語っていた。 「マリノスでプロになれないのであれば、いつか頑張って、浦和レッズでプレーするような選手になりたい」 あのときから、彼は赤いユニフォームを身にまとうために邁進してきた。 ■大学ではなく、プロにこだわって山形へ 目の前に座った汰木は、しばらく考え込むと、口を開いた。 「自分にとっての分岐点をひとつ挙げるとすれば、マリノスのユースからトップチームに昇格できないことが分かって、モンテディオ山形に加入することが決まったときになると思います。ずっとうまく行っていたものが、そこで初めて途切れたタイミングでもあったので」 小学3年生から、横浜F・マリノスの育成組織でプレーしてきた。自分でも「順調すぎるくらい」と笑うほど、一直線に階段を駆け上がってきた。高校3年生で臨んだ2013年の日本クラブユースサッカー選手権では優勝。MVPに選ばれる活躍も見せた。 「選手としてアピールする意味でも、クラブユース選手権は、特にがんばって、優勝することができた。自分の世代は強くて、5人くらいが2種登録もしていて。自分は、そのタイミングで、世代別の日本代表にも選ばれていたので、(トップに)昇格できるんじゃないかと思っていたんですよね」 ただ、トップチームが下した判断は違っていた。 「クラブユース選手権が終わったくらいの時期に、クラブと面談があったんですけど、そこでトップに昇格できないということを言わ...


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